■所我孫子市緑1-10 ■歩我孫子駅10分(750m)講道館を創始し、「精力善用・自他共栄」の理念のもと柔道の普及にあたった。また東京高等師範学校校長を長く務め教育の充実に尽くすと共に、東洋人初の国際オリンピック委員会(IOC)委員に就任し、日本のオリンピック参加、1940(昭和15)年の東京オリンピック誘致に貢献した。写真提供:公益財団法人講道館銅像は「東洋のロダン」と称される彫刻家、朝倉文夫作の和服姿の立像で、高さ2.14m、台座を含め約3m余り、高台の別荘跡から手賀沼を眺めるように建つ。講道館や筑波大学などに同じ原型からつくられた作品があり、7体目(現存6体)。我孫子市制50周年、2020(令和2)年開催予定だった東京オリンピック・パラリンピックに合わせて、市民団体が中心となり建立された。講道館柔道の創始者で教育家の嘉納治五郎は、1911(明治44)年、我孫子の手賀沼を臨む高台に別荘を設け、近隣住人の国際派ジャーナリスト杉村楚人冠、東京帝国大学教授村川堅固らや、町長をはじめとする地元の人々と厚い親交を結んだ。また別荘の近くに農園(嘉納後楽農園)を開き、専門家を雇って新進の農業経営にもあたらせた。甥で白樺派の中心人物、柳宗悦が嘉納の別荘の隣に移り住むと、志賀直哉、武者小路実篤らも我孫子に居を構え、薫り高い文化空間を形成したことからも嘉納が我孫子にとって重要な人物だったことがわかる。8講道館柔道の創始者であり、日本スポーツ協会(当時大日本体育協会)初代会長としてオリンピックへの道を切り開いた「日本の体育の父」。嘉納治五郎別荘跡(天神山緑地)
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